素材へのこだわり
神に一番近い木、木曽ひのき
外宮・神棚を木曽ひのき(官材)で造るのにはこだわりがあります。*木曽ひのきとは「木曽山系に自生する天然のひのき」の事です。
この地域は冬の寒さの厳しい地域であり、その厳しさが良質の材を育てる源になっています。厳しい冬の寒さで、年輪は細かくびっしりとつまり、しかも幕府の御用地であった事から容易に伐採する事を禁じられていた為、樹齢250年を超える木が育ちました。
また、木曽ひのきは油分が多く独特な光沢と香りを持ち、柾目でみる美しさには歴史的かつ美的感動すら覚えます。油分が多いため、木のもつヤニが表面に浮くことも多いですが、このヤニこそ長い時代を生きてきたねばり強い木曽ひのきの証なのです。
天然木木曽ひのき 樹齢約250年(径50cm)
植林ひのき 樹齢約50〜60年(径約30cm)
木曽ひのきは、年月が過ぎ焼けた色の方が味があると言われるのもこの木材ならではのすばらしい特徴です。それ故に伊勢神宮の20年に一度の遷宮の折には木曽ひのきが使われます。だからこそ、木曽ひのきで神棚を造る意義は大きく、ひのきの名の由来は今でも神事の火をこの木を使っておこすように「火の木」から来たと言われています。神事にひのきは切り離せない深く長い関係です。
「木曽ひのき」と「ひのき」の違い
木曽ひのき | 天然木の「木曽ひのき」は、樹齢250年を越えるため細かくつんだ年輪に対して垂直に製材することで線状の美しい木目になります。主に柾目材として使用します。 |
ひのき | 植林されたひのきで樹齢50〜60年で産出されます。そのため木曽ひのきに比べると木目が荒く柾目での加工が難しいため山のような形の木目になります。主に板目材として使用します。 |
柾目材
板目材
伊勢神宮御神木祭と木曽ひのき
天照皇大神を祀る伊勢神宮。ここでは20年に一度の遷宮が行われることでも大変有名です。この祭儀が行われるようになったのは今から1200年以上も前のこと。以来長い年月にわたって引き継がれています。そしてこの祭儀の折に伊勢神宮に納められる御用材は木曽山系から奉伐されるのが慣わしとされてきました。特に御神体を奉安する御樋代木として奉伐されるひのきは御神木と呼ばれ多くの人の手をわたり伊勢神宮へと向かいます。弊社で製造するひのき製の神棚、祠はその御神木にも使われる”木の里”で産出された良質のひのき材を用いて作られています。
木曽ひのきの歴史
木曽・裏木曽の木曽ひのきが伊勢神宮の御用材の産地に選ばれたのは14世紀ごろと言われています。
当時から良材の採れる地として知られていたようで、豊臣秀吉の時代には、神社、仏閣、お城などの用木として次々と伐採が行われ、江戸時代には深刻な状態にまでなりました。
そのため徳川家康の頃、木曽を幕府の直轄領とすることで保護するようになります。
現在では国有林として林野庁の管理になっており、計画的に収穫量を抑え、産出量も少ないため、神棚に限らず木曽ひのきを使う商品は、大切に使っていただけることを願っています。
安土桃山 〜江戸時代 | 築城・武家屋敷・社寺の建設、橋梁、造船で良質な用材が求められ、政権の直轄地とされた。(豊臣→徳川) |
1615年 | 尾張藩の領地となり、引き続き藩用材・幕府の注文材・年貢等のため伐採。 江戸城、駿府城、名古屋城等の築城用材として大量の伐採が続く。 |
17世紀半ば | 運材技術の向上等により王滝川上流まで、ヒノキ等が伐採し尽くされた「尽き山」が広がる。 |
1665年 | 禁伐区域「留山」が設けられる。 |
1708年 | 留山以外もヒノキ、サワラ、アスナロ、コウヤマキの四木を「停止木」として伐採禁止。(1728年にネズコも加え「五木」) |
1876年 | 官行伐採事業開始(内務省) |
1889年 | 御料林地編入(以後、御料林として管理経営) |
1947年 | 林政統一(以後、国有林として管理経営) |